データ通信

2005.04.22

■ブロードバンド時代へ

■ブロードバンド時代へ

 データ通信環境も大きく変わってしまったようです。

 ブロードバンド時代を実感するようになったのはここ一二年のことです。

 我が家にも光ファイバーを引くことができる時代になりました。

 小生は、PC普及の初期の段階からパソコン通信に加入していました。

 Niftyに加盟して、フリーソフトやフォーラムに参加して情報の収集や
 情報交換をしていました。

 パソコン通信時代の通信回線は、通常の電話回線にモデムを接続して
 14.4KBPSのスピードで通信していたように思います。

 送受信するデータもテキストが中心で、時々画像やプログラムを
 ダウンロードしていましたが、接続時間を気にしながら利用していたこと
 を記憶しています。

 インターネットを使うようになってからは通信回線のスピードも
 56KBPSにスピードアップされましたが、インターネットの画像は
 それでも「じわっー」と顕われるという状態でした。

 これは、我慢するとしても、問題なのは電話料金の支払いでした。

 つなぎっ放して利用していると月間の電話料金が三万円を超えてしまい、
 多いときには、五万円以上の月もありました。

■そして、ADSLの登場です。最初は1.5MBで、次に8MBと切り替え
 ました。残念ながら、我が家は電話局からの距離が3.4Kmあります。
 したがって、期待したようなスピードがでませんでした。

 しかし、電話料金は劇的に低下しました。

 一万円を超えることはなくなったのです。

 ADSLは、一般家庭でのデータ通信環境を劇的に変えてしまいました。

 常時接続で、使い放題で、固定料金で、低価格での高速通信が可能と
 なったのです。

 このADSL普及のきっかけを作ったのは、ヤフーBBの孫社長です。

 ヤフーBBは、顧客情報の大量流出で信用失墜問題を引き起こしました。

 しかし、今日のブロードバンド時代の到来を加速させた立役者です。

 世の中の仕組みを大きく変えるためには、常に「仕掛け人」「ザ・マン」
 といわれる人の存在があるのです。

■ところで、ADSLは、電話局との距離やハード・ソフトの条件により、
 実際のスピードは一定ではありません。

 12MBとか24MBとかの表示どおりのスピードが保証されるわけでは
 ありません。

 そこで、小生もスピードアップのためにのハード・ソフトの手当てを
 いろいろと試みてみました。

 いろいろやりましたが、結局は2MBを超えることはできませんでした。 

 その後、ADSLの提供商品は、12MB、24MB、40MBと
 サービスのスピードをあげていますが、小生の自宅の環境では無理
 との判断をしました。

 工事代金無料キャンペーンを利用して光ケーブルに切り替えました。

 NTT東日本のBフレッツ100MBというサービスを受けることに
 なりました。

 期待していたのは、10MB以上のスピードでした。

 しかし、契約したニューファミリータイプでは、一本のケーブルに
 複数のユーザーが接続されるために、利用状況によりスピードは変動します。

 それでも、安定的には5MBのスピードは確保できているようです。

 これだけのスピードがあればWebの閲覧には問題なし、大量のメールの
 送受信にも問題なしということです。

 全く快適なインターネット環境が個人ベースで実現する時代になったのです。

■IP統合通信網の構築へ

 個人レベルでブロードバンド通信が活用されるということは、当然企業の
 情報通信システムにも影響があります。

 音声での電話利用分野でもIP電話というデジタル方式が普及しつつあります。

 このIP電話も含めたIP通信総合ネットワークシステムの導入が
 開始されています。

 この分野の導入競争も激化しています。

 企業内は勿論のこと、企業と企業の間、個人と企業、個人相互間の音声を含めた
 情報通信事情は大きく変化しつつあります。

 これらの低価格の高速情報通信システムの普及により新たなアプリケーションを
 生み出すことになります。

■銀行のアプリケーションとしては、社内研修用に活用され、遠隔地での
 TV画面を通じた研修が可能となっています。

 また、在宅で銀行のフィナンシャルプランナーとお客様の間でPCを使い、
 TV電話機能とデータ通信を組み合わせた、資産運用管理サービスも
 可能になってきています。 

■「ユビキタス社会」の実現へ

 ブロードバンドのより一層の普及により、ますます便利で、いつでも、
 どこからでもインターネット等の情報ネットワークにアクセス可能となる
 「ユビキタス」と呼ばれる情報化社会が実現しつつあるということです。

 このユビキタス社会では、いわゆる情報家電機器もネットワークに接続され
 FS映画で視ていた社会に近づきつつあるということです。

■ブロードバンドネットワークとデジタル家電をベースとした情報家電の普及に
 より、一般家庭でも加速度的に情報化が進展することになります。

 これらの機器の普及は、中国や後進国により劣勢化してきた日本の製造業の
 空洞化の歯止めになることが期待されます。

 日本のメーカーの得意とする分野であり日本再生につながることを期待
 したいものです。

 長引く日本経済の低迷からの脱出に役立つことを期待したいものです。

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■I-1回戦の利用と、48Kモデム、48KTDMの開発

今回は、前回に続いてデータ通信システムで大幅にコストを節減し、かつ、
 システム移行リスクを回避した事例をご紹介したいと思います。

 話は、少し難しくなりますが、プロジェクトの進捗過程で起こるシステム
 リスク回避策の事例としてもご理解いただきたいと思います。

 具体的には、
◇I-1回線利用による高速データ通信システム
◇48KBPSモデムの新規開発機器の採用
◇48KTDMの新規開発機器の採用

 といずれも銀行業界でははじめての新規開発機器の採用とシステム移行
 リスク回避策の話です。

 昭和50年前後、三井銀行では融資オンラインシステムを開発し、
 システム移行過程にありました。

 この融資オンラインは、従来の預金・為替系の勘定系のシステムとは
 システム設計思想もアプリケーション開発の方法も新規の考えを
 とり入れたシステム開発でした。

 IBM社の標準パッケージであるCICSというオンラインリアルタイム
 パッケージを採用するということ。

 データベースシステムにもDL/1という汎用デーベースシステムを
 採用すること。

 端末は、IBM3270という汎用ディスプレー装置を使い会話型の
 システムを実現するということ。

 国内の外国為替システムと共用でシステムを開発すること。

 単純な融資事務の勘定処理を行うだけでなく、与信管理システムを
 含めた融資事務全体をカバーし、営業店の融資係と本部の審査部の
 与信決裁システムとも連動させるという画期的なシステムでした。

 この時代の融資・外為システムは勘定処理を中心に開発されており、
 この時代にディスプレー端末を使い、会話形式でかつ、与信管理決裁
 システムと連動させるというシステムは当時としては画期的なシステム
 であったのです。

 このシステムの位置づけとしては、預金為替の二次オンラインシステム
 開発の先行プロジェクトとしての意味もあり、いろんなシステム開発上の
 実験的な試みも加味した新規のシステム開発プロジェクトでした。

 融資・外為という比較的に事務発生件数が少なく、月末・期末にピーク
 事務量が集中的に発生するという特性のある業務形態のオンライン処理
 システムの開発プロジェクトでした。

■このプロジェクトで、店別に順次新システムへの切り替え移行中に
 大幅なシステム変更を行うべきか、それともシステム移行の安定性を
 重視するための代替手段を選択すべきかの意思決定を迫る問題が発生
 したのです。

 当初のプロジェクトの計画では、関西地区の移行のためには、
 当時のIBMが新規に開発したVTAMという通信制御ソフトと
 3705の通信制御システムを採用することでした。

 しかし、IBM本社でのシステム開発が遅れて、当初のスケジュールに
 間に合いそうになく、間に合っても本邦初演でありシステムの安定性にも
 疑問がありました。

 日本IBMとしても勿論本邦初演で、米国実績もないというシステムの
 導入で、システムのトラブル発生を予測していました。

 関西地区移行のために東京地区で安定して稼動を始めたシステムを更改
 すれば、システム全体のトラブルリスクが発生する可能性が大であるとの
 プロジェクトチームからの報告がありました。
 
 システムテスト期間を十分とるために、関西地区の移行スケジュールを
 半年間延期すべきとの提案がプロジェクトチームより提案されました。

 このプロジェクトチームからの提案には、大きな問題がありました。

 開発コストが当初より大きく膨らむということ、システムの効率化の
 享受が先延ばしになること、システム移行に伴うリスクも半年間で
 完全に回避できるという保証がないということでした。

 開発費用の面では、100人以上の開発要員を半年間投入すれば、
 単純に一人月百万円として計算しても一月一億円の出費で6億円の
 追加開発費が加算されるということを意味していたのです。

 そこで、代替案の検討を開始しました。

 ここで、IBM社の新規開発中の通信ソフトを導入しなくてもよい
 方法の検討を開始したのです。

 代替案としては、東京と大阪の事務センター間を高速のデータ通信回線
 で結び、この太いデータ通信回線を何本かに分割して利用するデータ通信
 回線の時分割利用という方法を検討することになりました。

 前回説明したように、データ通信回線の自由化により、電電公社は、
 I-1規格という広帯域の通信回線を提供することを発表していました。

 このI-1回線を利用して、東阪間を48KBPSで結び、
 これを理論上は40分割して1.2KBPSを40本束ねるシステムを
 採用する方法がアイデァとして発想されました。

 しかし、この方法は、日本では初めての経験であり、国産の製品は、
 存在しませんでした。

 米国産の製品が何社か存在していた程度でした。

 米国の通信規格と電電公社の仕様は細部で異なっており外国製品を直接
 導入するには、技術上解決すべき問題があり、採用上の懸念がありました。

 そこで、このI-1規格を48KBPSで利用する高速通信装置である
 48Kモデムの開発とこれを40分割するTDM(通信回線時分割装置)
 の国産製品の開発を行う必要があるとの結論に到達しました。
 
 当時の通信回線装置は、電電ファミリィーといわれる、富士通、日電、
 沖電気、日立の四社を中心として開発・製造されていました。

 この四社の中で、富士通がこの装置を開発中であるということでした。

 富士通の工場に出向き、現場の技術者や試作機の状況等を調査しました。

 信頼性と納期が一番の問題点でしたが、最終的には富士通製の未発表の
 製品を採用することに決定したのです。

 結果としては、当初スケジュールどおりに関西地区の移行が着実に
 行われ、開発コストも増加することなく無事に移行が完了したのです。

 実は、このシステムの採用により、IBM社の一億円以上もする
 3705/3706という通信制御装置を導入する必要もなくなり、
 ハードコストも大幅に節減できるという副次効果も示現したのです。

 以上の説明で内容を理解していただけたでしょうか。

 この分野に詳しく、当時の事情をご存知の方以外の方には、ご理解して
 いただけないかも知れません。

■システムを開発する上でシステム開発プロジェクトが直面するのは、
 システム開発スケジュールと開発コストの問題と技術上直面する
 各種の問題等多種多様であり、これらをひとつひとつ根気よく解決する
 ことがプロジェクト成功の秘訣です。

 システム開発やシステム移行には常にリスクが伴うものです。

 このリスクをいかに現実的な問題として解決していくかが、プロジェクト
 マネージャーに必要な能力であり、KKDが必要といわれてきました。
 すなわち、過去の経験(K)と勘(K)と決断のための度胸(D)が
 必要ということです。

 最近のプロジェクトマネージャーには、現場で習得したKKDが不足して
 いるのではないかという懸念が指摘されています。

 これが、当初問題提起した、本メルマガの根底を流れる2007年問題に
 結びつくテーマであると考えています。

 このKKDをいかに計画的に体得させるかが人材育成上の大きな課題である
 と考えています。

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2005.04.20

■9600BPS高速ファツクスの開発

■前回に引き続き、データ通信の話題を取り上げます。

 まず、軽い話題から、現在一般家庭に普及しているファクシミリの
 銀行専用端末版の開発裏話をご披露したいと思います。

■9600BPS高速ファクスの開発の裏話

 今回のテーマは、一般の電話回線で9600BPSのデータ通信に
 成功した事例としてとりあげます。

 ADSLが、一般の電話回線を利用して、40MB(40MBPS)の
 通信を実現できるということは、驚愕に値するということを、
 VOL007(2.25発信)で述べました。

 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000125079 
 上記から右側の2004.2.25発行の行をクリックしてください。
 

 ところで、

 昭和50年代の半ばと記憶していますが、当時の電話ファクシミリは、
 2400BPSのスピードのものが、最高だったのです。

 これを一挙に9600BPSのスピードアップするということは、
 当時としては、本邦初演のシステムを導入することでした。

 
 当時の銀行の本支店には、2400BPSのファクシミリが導入されており、
 本部からの情報連絡や支店相互間の情報交換、お客様との情報のやり取り、
 等に活用されていました。

 しかしながら、スピードが遅い、画像の写りが鮮明でなく、情報の交換に
 苦労していました。

 そこで、この画像情報交換システムの端末であるファクシミリシステムの
 新システムを開発することにしました。

 全店ファクスシステムの開発プロジェクトが発足したのです。

 ここに、タイミングよく、松下が4800BPSのファクシミリを開発し、
 売り込みにやってきました。

 確かに、従来の二倍のスピードでの送受信可能ということでしたが、
 これだけでは魅力に乏しいということで、ファクシミリに多機能を
 持たせる端末を開発しようということになりました。

 即ち、通常のファクシミリとしての機能に加えて、プリンター端末機能と
 OCR判別機能を追加してあて先を自動で発信させることにしたのです。

 これにより、本部からの通知は、ワープロで作成したものをそのままデジタル
 印字することが可能で、印字品質を抜群に向上させることを意図しました。

 現在では、汎用プリンターは、ファクシミリ機能、LANでのプリンター
 機能、複写機能(コピー機能)、スキャナー機能(画像取込機能)等と
 多機能化が進んでいます。

 当時のファクシミリは単能機器だったのです。

 この単能機器をプリター端末としても利用しようということでした。

 OCRの判別機能をつけることにより、行内文書は店番指定で送信するため、
 予め登録してある電話番号にしか送信できないため、誤って重要書類が、
 一般のファクシミリに発信することを防止する仕組みも追加しました。

 これにより、ファクシミリの誤送信をなくすることを意図しました。

 情報セキュリティー対策の一環としての考え方を導入したのです。

 このプロジェクトに後発で参画してきたのが東芝でした。

 当時の三井銀行は、ファクシミリは松下製品がほぼ100%で、東芝製品は
 一部しか採用していなかったのです。

 ここで、新型ファクシミリ端末に関して、東芝と松下の開発競争が始まり
 ました。

 結末は、東芝製の逆転採用となり、全店に設置されることになります。

 詳細に関しては、いろいろと支障があるので、電話回線を利用した
 9600BPS電話ファクシミリの採用が決定要因であったということに
 フォーカスしてお話してみたいと思います。

 当時、一般の電話公衆網を利用したファクシミリ通信は、2400BPSが
 最高のスピードでした。

 ここに、松下が4800BPSの機種を投入したということで、画期的なこと
 だったと記憶しています。

 ここに、東芝が9600BPSのファクシミリを開発中との情報が入りました。

 この時点では、松下は9600BPSの開発の計画はありませんでした。

 当然のことながら、4800BPSよりは、9600BPSの方が速いので、
 電話の接続時間が短く、全店ベースで考えても電話料金の節約にもなります。

 しかし、当時は一般の電話回線での9600BPSの通信実績はなく、果たして
 思惑通りに9600BPSで送受信可能かが問題になりました。

 勿論、回線状態が悪い場合には、自動的に回線スピードを低速に切替える機能が
 ついているわけですが、9600BPSのメリットは少なくなってしまいます。

 そこで、9600BPSの実用性に関しての技術的な問題の検証を実際の
 一般の電話を使って調査することになりました。

 本邦初演ということで、いくつかの実証実験をやりました。

 まず、全国の電話局の交換機の新旧機種に問題があるということで、
 三井銀行の支店のある電話局と東京・大阪等の主要局との交信を行い、
 一般電話回線のデータ送受信品質を徹底的に調査しました。

 その後、全国の電話局に関しても全て調査を行いました。

 また、従来ファクシミリでは、常識ではなかったデータの誤り制御機能を
 追加しました。

 誤り制御機能は、データ通信では常識となっていることでもファクシミリ
 の世界では非常識なことだったようです。

 それ以外にも、いろんなテストをしましたが、結論として、
 多機能の9600BPSのファクシミリ端末は実用に耐え、効率化に寄与する
 という結論になりました。

 オンラインシステムが文字情報しか扱えない時代に、画像を高速で
 高画質で送受信できるファクシミリプリンター端末が誕生したのです。

 このとき、電話回線でも9600BPSのデータ通信可能であるということ
 確認できました。

 このときも、本邦初の技術開発ということで、メーカーの技術の方といろいろと
 ディスカッションさせていただき多くのことを学んだ記憶があります。

 多くの伝送技術を専門に研究していらっしゃる技術者の方から多くのことを
 学ぶことができたことに感謝いたしております。

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■データ通信回線の自由化

■データ通信回線の自由化

 前回で説明したように、東京オリンピックを契機として、電話回線を専用線
 利用という制限付き条件でデータ通信に利用することが可能となりました。

 これを契機として、バンキングオンラインを初めとして、各種のオンライン
 システムが稼働し、現在の情報化社会を形成することになりました。

 しかし、昭和40年代当時の日本の通信回線は、電電公社の独占事業であり、
 電電公社の提供する専用回線を使うしか方法がありませんでした。

 日本の通信回線利用料金は欧米に比較して、長距離回線が高額であり、
 全国をカバーするオンラインシステムの構築はお金のかかるシステム
 だったのです。

 バンキングオンラインシステムが急速に発展したのは、このコストに見合う
 省力・合理化効果を享受できたからです。

 金融機関の電電公社への支払は、他業態に比較しても桁違いの大きな
 支払金額でした。
 
 この状況は、NTTになっても大きくは変化していないと思います。

 従って、この回線利用料金をいかに節減するかが次の経営課題として
 浮上してきたのです。

 この回線料節減対策の事例に関しては後ほど説明いたします。

 一方、この電電公社の提供する専用回線の利用に関しては、電電公社の
 技術審査という審査規制と「公衆電気通信法」という法律により
 各種の利用規制がなされていました。 

 これらの規制や制約の為にコンピュータの自由な利用が制限され、企業間
 のデータ通信システムの接続やデータセンター業務等を簡単に開始する
 ことができませんでした。
 
 昭和44年ごろから通信回線を開放すべきとの活動が活発になりました。

 各種の民間団体や議員連盟からの強い要望により、情報産業振興政策
 として、具体的な検討が開始されました。

 紆余曲折の末に昭和46年5月に「公衆電気通信法の一部を改正する法律」
 が成立しました。

 これがいわゆる「回線開放」と呼ばれるものでした。

 具体的には昭和46年9月にまず、
 「特定通信回線の共同利用の制限緩和と付加使用料の廃止」が行われ、
 11月には「広域時分割と電話回線のデータ通信などへの利用開放」が
 始まりました。

 そして、昭和48年11月にはI規格(48キロヘルツ)、
 J規格(240キロヘルツ)の特定通信回線が一般に開放されました。

 このI-1,J-1規格の特定通信回線は、回線の周波数帯だけを
 提供するもので、利用方法は利用者の自由ということでした。

 このときに、D-1(4.8キロヘルツ)の特定通信回線の分割使用
 の制限撤廃も実施され回線自由化問題は一段落しました。

 以上のように書いても、読者の大部分の方は、チンプンカンプンに
 違いありません。

 昭和40年代の当時は、通信回線開放問題は大きな問題だったのです。

 今から考えると一体なんだったのかという感じですが、通信インフラが、
 電電公社の独占事業により、情報システムの伸展阻害要因だった時代の
 話です。

 その後も、利用形態に関しての制約が残ったものの、徐々に回線利用
 制限は開放されていきました。

 そして、電電公社は、1985年(昭和60年)に民営化され
 日本電信電話株式会社となりました。

 1999年(平成11年)に、現状の四社体制である、
 日本電信電話株式会社(持株会社)、NTTコミュニケーションズ、
 NTT東日本、NTT西日本へと分割されたのです。

 通信回線の自由化の問題は、現在のNTT体制以前の問題です。

 過去の話ですので、当時のことを知っている人は数少ないと思います。

■この回線自由化の過程の中で、回線料をいかに安価にすべきかの
 施策をいくつか実行しました。
 
 小生が実際に関与した具体的な回線料の節減施策に関して解説して
 みたいと思います。

■東阪間のD-1回線利用によるコスト節減

 当時の三井銀行は、東京と大阪にコンピュータセンターを置き、
 関東地区と関西地区でのオンライ処理を分散して処理していました。

 従って、両センターの間でのデータの交換処理が必要でした。

 このために、東阪間での大量データの新幹線による磁気テープ搬送
 システムはオフラインシステムとして当然のことながら確立しており、
 更に、東阪間で通信回線も何本も引いていました。

 この回線コストが相当の額(どの程度だったかは手元資料に
 ありません)、記憶も定かではありません。

 2400BPSで月間回線使用料金が、1本40万円程度だった
 と思います。実際はもっと高かったように思いますが・・・?。

 D-1特定通信回線が、利用可能になるまでは、東阪間の回線は
 2400BPS回線と4800BPS回線が何本も引かれていました。

 東京の事務センターと関西の事務センターの両センター間の
 オンライデータの交換、夜間の一括処理データやオンラインプログラム
 等のデータ交換用に利用されていたのです。

 この回線料金の月々の支払が結構な金額なっていました。

 そこで、この回線使用料金を節減する方式の検討を開始しました。

 具体的な回線料金の正確な数字は、手元にありませんので、
 東阪間の回線料を1本40万円と仮定して話をすすめていきます。

 東阪間に8本の2400BPSの回線があれば、月間の通信回線料金は
 320万円となります。

 この8本の回線を2本のD-1回線に集約することにより、単純に
 80万円に節減でき、月間120万円の節減効果となるという考え方
 です。

 なぜ8本が2本に集約できるかについての簡単な説明は、D-1回線に
 自営の高速モデム(9600BPS)を使うことにより、1本のD-1
 回線に4本の2400BPS回線を集線することができるという方式です。

 D-1回線の利用料金は、概算で2400BPSの回線の利用料金から、
 電電公社のモデム使用料を差し引いたものでしたから、この節減策が
 成り立つことになったのです。

 要するに、回線開放により、新たなモデムや機器を導入することにより、
 電電公社の専用回線の8本を4分の1の2本に集約できたのです。

 これにより、回線使用料金も概算で320万円が4分の1の80万円に
 なったということです。

 これだけでも通信回線料金の年間節減額が3千万円近くになったのです。

 ここには、データを変換する9600BPSのモデムという装置や
 回線を束ねるのに必要な時分割装置(TDM装置)の導入が必要でした。

 この機器の導入コストは、米国製のモデムでしたが、6ヶ月程度で、
 投資回収できる程度のコストであったと記憶しています。

 この機器の信頼性のテストやD-1回線を利用した場合の回線品質の
 保証等のテストに関しては、実際のデータを積み重ねて、実行に移す
 ためのテストは慎重に行いました。

 回線品質分析装置を接続して、一ヶ月以上の統計をとり、エラーの発生
 度合いを、時間帯別、日別の統計を採集した上で、実務上は全く問題なし
 との結論をだしました。

 これにより、新たな通信機器を導入することにより、回線料金を節減できる
 方法があるという確信を持つことができました。

 このシステムを応用して、遠隔地の支店に対しての回線の集約をおこない、
 システム全体の回線コストの低減を実現することができたのです。

 この効果は、一つ一つは地道な節減効果かも知れませんが、トータルとすれば
 大変大きな節減効果を生み出す結果となったのです。


 次回は、もう一度、高速回線であるI-1規格の活用の事例に関しても
 説明してみたいと思います。

 

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■為替電信交換システム

■はじめに

 データ通信回線に関して書き始めましたが、小生自身は、
 通信技術に関して専門的に勉強したわけではありませんので、 
 技術的にはよく理解していないことが多いと思います。

 ユーザーとしての立場からの経験の一部をお話しているに過ぎません。

 この点に関しては、予めご了承ください。
 
■昭和40年代

◇為替電信交換システムとの出会い

 昭和43年に銀行に就職が決まり、はじめて支店研修の現場で
 接触したシステムのひとつが、為替の電信交換システムでした。

 今は、見ることはないものですが、2-3センチ幅の紙テープに、
 穴を開けてデータを記録する方式がありました。
 
 読者のなかでも知っていらっしゃる方は少ないかもしれません。

 昔は、コンピュータにデータやプログラムを入力する場合には、
 この紙テープに穴をあける方式か、紙製のカードに穴をあける
 パンチカード方式と呼ばれていたものを使っていました。

 当時の為替電信交換システムの為替送金データは、
 この紙テープに穴をあける方式で、紙テープベースで
 電文データの送受信を行っていました。

 このときに使われていた通信回線は、
 50ボーの専用電信網の回線でした。

 
  【補足説明】この部分はやや専門的になりますので
       興味のない方は読み飛ばしてください。

 ボーとは、データの伝送速度を示す基本単位で、
 フランス人の電信技術者であるJ.M.E. Baudotの名前に因んでいます。

 モデムなどのデータ通信デバイスでは、キャリア波と呼ばれる基準波
 の状態をさまざまに変化(この操作は「変調」と呼ばれます)させ、
 遠隔の相手にビット情報を伝送します。

 ボーとは、このキャリア波が1秒間に変化する回数
 を示す単位のことです。

 実際のデータ通信速度を表わす単位はBPS(bits per second)です。

 キャリア波に対し、複数の変調処理を組み合わせることで、
 キャリア波の1周期分の時間で2値以上の状態を作ることも可能です。

 この場合には、baudレートの倍のbps値でデータを伝送できます。

 従って、ボーの単位とBPSの単位は一致しません。

 事実、初期の1200bpsのモデムは、
 600baudで1200bpsのデータ伝送速度を実現していました。

 【ボーの説明はここまで】

 
 為替という言葉がお解りにならない方のために簡単に説明しておきます。

 為替業務とは、
「隔地者間における金銭債権債務を直接現金の輸送によらずに
 資金決済する方法」です。
 
 この仕組みも説明すると複雑になるので、
 簡単に、皆さんが資金を他人の預金口座に振込む処理を行う
 ことが代表的な事例という程度にとどめておきます。

 現在では、コンビニのATMでも簡単に資金の振込処理が
 できますが、昔は大変だったのです。

■為替電信交換システムによる振込処理

 典型的な銀行店舗での電信為替振込の事務処理の形態を説明します。

 まず、お客様は、為替の振込伝票に振込先の銀行、支店名、
 振込先の口座番号、受取人名と振込人名、振込金額等を記入し、
 窓口係に振込金額と振込手数料を添えて申し込みます。

 内容点検の後に、振込手数料は、振込金額によりますが、
 印紙を貼った手数料の領収書と振込依頼受付書を受け取ります。

 これが、振込を依頼して、銀行に受領されたという証拠の書類となります。

 ここまでが、お客様との取引です。

 次に、カウンターの中の為替係の仕事になります。

 同一銀行の他の支店への振込(これを本支店振込と言います)か、
 他の銀行宛の振込かを区別します
 
 お客様から依頼された振込伝票に書いてある、
 振込先銀行が自行の場合には、支店名から支店番号を索引して、
 この支店宛の為替振込電文データを作成します。

 当時の電文データ作成の方法は、為替専用の端末で、紙テープに穴をあけ
 振込電文の紙テープデータと電信為替振込印字の伝票をプリントすることでした。

 そして、この紙テープデータと為替振込電文記録とお客様ご依頼の伝票を
 セットにして、精査係により、データ入力が間違っていないかの点検を
 受けます。

 振込金額の大きなもの(金額の設定は銀行独自に設定されています)に
 関しては、係長等の役付き者の承認点検を必要としていました。
 
 精査終了、役席者承認後の紙テープは、紙テープリーダーに読み取らせて、
 専用電信回線を経由して為替電信交換システムに送られます。
 
 為替電信交換システムは、この送られてきた電文データのあて先を
 チェックし、該当する支店に電文振り分けを行い電信電文を転送します。

 この仕組みは、メッセージスイッチングシステムといわれるもので、
 銀行の為替オンラインシステムの初期のころは、この仕組みを使っていました。

 当初は専用の電信電文交換機ですから、電文の振り分け機能のみの機能でした。

 しかし、この単純な電信電文の自動交換システムでも相当な合理化だったのです。

 次に、振込の電信電文を受信した支店の事務処理にも触れておきます。

 センターの電信交換機から電信専用回線を通して、送られてきた振込電文は、
 為替の端末の連続伝票に出力印字されます。

 そして、この伝票をベースに、振込先の預金口座を探して、
 振込依頼金額の入金処理を行うということになります。

 この処理は、昭和43年には、普通預金はオンライ化されていましたので、
 預金の端末で入力すればリアルタイムで処理が完結しました。

 そして、振込入金があったことをお客様に、電話または、
 郵送でご案内するというのが口座振込処理の一連の流れになります。

 正常な処理でも多くの人手がかかっていたわけです。

 これが、振込支店の間違い、振込口座相違の例外が発生すると逆の取引処理が
 必要で大変手間のかかる事務処理だったのです。

 これらの事務が月末・月初には集中します。

 銀行の事務センター、営業店は大変な事務負担になっていました。

 この分野に合理化のメスを入れる必然性は当然のことでした。

 一方、他行振込の場合は、もっと大変でした。

 他行振込の場合は、コルレス契約先銀行かどうかを点検します。

 このコルレス契約先銀行というのは、お互いに資金決済できることを予め
 契約した先の銀行のことです。契約がない先には振り込みはできません。

 テラー(銀行の窓口係)が受け付ける段階でも確認はしていますが、
 再度点検します。

 全銀の為替オンラインシステムが開発されるまでは、
 銀行により異なっていたのですが、集中事務センター方式か、
 個別支店対応となっていました。

 他行宛の振込電文に関しては、当時で言う暗号キィーを付加して、
 電々公社の運営するテレックスシステムで電文の交換処理を行っていました。

 勿論、振込処理は資金移動を伴うもので、資金決済も別の仕組みで行い、
 常に正当に処理されたかどうかを照合するシステムも
 紙ベースの伝票を使って、手作業照合が行なわれていました。

 全銀データオンラインシステムが稼働したのが昭和48年4月と
 いうことですので、
 それまでの他行為替は大変手間のかかる仕事だったのです。

 これ以降のテレックスシステムは、全銀システムに加盟していない
 金融機関への取引等に一部残っていましたが、データ通信回線利用の
 オンラインシステムに順次切り替わっていきました。

 以上、簡単に説明しましたが、銀行でのデータ通信回線の利用分野としては、
 この為替電信交換システムとテレックスシステムが事始だったと思います。

 この為替電信交換システムは、専用の電信網を利用したもので、
 現在のデータ通信回線とは別のものです。

 最初のバンキングシステムでのデータ通信回線の利用は次回説明予定の
 普通預金オンライン・リアルタイム・システムが最初になります。

 銀行口座への資金振込処理は、現在では、
 銀行店舗のATM装置からは勿論のこと、
 コンビニのATMからでも、
 家庭のパソコンからも携帯電話からも
 インターネットバンキングシステムを使って
 リアルタイムで処理が可能になっています。

 随分進化したものです。

 銀行の事務処理は堅実・確実性を要求されるために、
 随所で、精査・ダブルチェックの仕組みを組み込んでいます。

 この事務処理負担をバンキングオンラインシステムで順次解決し、
 現在の総合バンキングオンラインの仕組みができあがったのです。

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■データ通信回線について

 
■はじめに

 今回から、データ通信回線のはなしに移りたいと思います。

 NTTの電話回線を利用したADSL回線は2004.2.13現在で
 1千万世帯を突破しました。

 ADSLの出現は、小生にとっては、全く信じられない技術です。

 なぜなら、つい二三年前までは家庭に引いてある銅線の電話回線では、
 56KBPSが最高のスピードでこれが限界であると信じていたからです。

 それでも電話代を気にしながらインターネットに接続していました。

 それが、今では、最高で40MBのスピードまでOKとのことです。

 ADSLに関しては、ベストエフェクトということで、電話局からの
 距離とかの条件により必ずしも期待するスピードはでません。

 小生も、初物が好きなもので、早速1.2MBを申し込みましたが、
 どうも期待できるスピードではありませんでした。
 
 その後8MB、12MBとプロバイダーを乗り変えていきました。

 結局、我が家の環境では2-3MBが限度ということになりました。

 この間、スピードアップ用のソフトの購入、スピードアップのための
 各種のパラメーター対策等をせっせとおこなってしまいました。

 本末転倒なのです。

 何のために速くしなければならないのかを
 忘れてしまっていたのです。

 技術に関心が向いてしまうと当初の利用目的を忘れて
 しまいがちになります。

 スピードアップのみに興味が傾いてしまいました。

 随分時間の無駄をしたように思います。

 そこで、ADSLに見切りをつけて、工事費無料の宣伝に乗せられ、
 光ファイバーの100MBのBフレッツに乗り換えてしまいました。

 NTTの光ファイバー通信ですので安心と思ったのです。

 価格の安い、ニューファミリィータイプというのは、
 何人かのユーザーとシェアするために100MBは無理です。

 測定時間帯、測定方法にもよりますが、安定的には
 我が家の場合には、4MBのスピードというところです。

 時々は、10MB以上でることもありますが、稀です。

 当初、回線開通時には、40MBがでており期待していました。

 いざ本番となるとここまではでません。

 一般家庭で、データ通信回線の高速化により、
 具体的に何に使うかが問題です。

 現状では、動画や映画を見るときの安定視聴のためには
 速いほうが安心という程度の問題かも知れません。

 それにしても、通信技術の進歩はすさまじいものがあります。 

 遡ると小生の過去の経験値からは9600BPS(9.6KBPS)が
 限界だったはずです。これ以上は無理といわれていました。

 PC通信が普及しはじめた時代には、電話回線を利用した通信は、
 音響カップラーを利用したもので、1200BPS(1.2KBPS)。

  そして、14.4KBPS、28.8KBPS、56KBPS
 へとスピードアップされていきました。

 これも脅威でした。なんでこんなになるのかとの思いがありました。

 それがいきなり、ADSLの出現により、1.5MB 8MB 
 12MB 24MB 40MBとなってしまいました。

 同じ電話回線を使ったデータ通信がどうしてこんな高速に対応できる
 のでしょうか、われわれ素人には全く理解できません。

 理論はともかくとして利便性を享受できているわけであり
 ありがたいことです。

 スピードよりもADSLは、固定料金というのが最大のメリットです。

 常時接続しても、料金は一定というのは非常にありがたいことです。

 電話代の請求書をびくびくしながら見なくてもよくなったからです。

 
 ところで、話はデータ通信回線のスピードに戻ります。

 1KBPSは、MBPSの1000分の1です。

 9600BPSからMBBPS単位順で並べてみます。

  0.0096 0.0144 0.0288 0.056 

  1.2 8 12 24 40  【MB・BPS】

  こうやって並べてみると隔世の感があります。

  そこで、小生の関与してきた、データ通信回線の歴史を
  ふり返ってみたいと思います。

■バンキングシステムでのデータ通信回線の歴史
 
 バンキングシステムの歴史に戻ります。

 バンキングシステムを構成する要素として、
 データ通信回線は不可欠のものです。

 端末装置と遠隔地にあるコンピュータセンターを結んで
 データのやりとりを行う手段としてデー通信回線が利用されます。

 バンキングシステムで利用されたデータ通信システムの事始は
 為替のテレックスオンラインシステムでした。

 その後預金のオンラインが開発され、各種のオンラインシステムが
 開発されました。

■昭和40年代

◇為替テレックスオンラインシステムの稼働

◇普通預金オンラインシステムの稼働開始

◇総合オンラインシステムの開発

■昭和50年代から昭和60年代

◇D-1回線の利用

◇9600BPSの電話FAXシステム

◇I-1回線による高速デー通信

◇48KBPSモデムの開発

◇48KTDMの開発

■平成になってから

◇高速パケット通信

◇ATM通信

◇IP統合通信

◇ ・・・

 時代とともにバンキングシステムを支えてきた、
 データ通信システムは、高速化をたどってきました。

 次回からは、これらのトピックスに関して、
 小生の経験談を中心に解説していきたいと思います。 

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